原状回復・敷金精算に関する判例  その2
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東京地方裁判所   平成6年7月1日

概要
敷金24万円 契約は合意解除の上建物の明け渡しを終えたが、畳みの張り替え費用249,780円を請求された。
本件契約には「借主は貸主に対し、契約終了と同時に本建物を現(原)状に回復して明け渡さなければならない」という特約があった。
判決
本件特約における原状回復という文言は、賃借人の故意、過失による建物の毀損や通常でない使用方法による劣化等についてのみその回復を義務づけたとするのが相当である。
本件においては賃借人は本件建物に居住して通常の用法に従って使用していた。
従って本件契約における原状回復には当たらないとして、敷金の全額である24万円の返還を命じた。

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保土ヶ谷簡易裁判所   平成7年1月17日
横浜地方裁判所   平成8年3月25日

概要
借主Xは、平成元年7月2日、Yとの間で横浜市内のマンション(新築物件)の賃貸借契約を締結した。契約期間は2年間、賃料月額9万7,000円、敷金19万4,000円とし、Xは同日Yに敷金を交付した。平成3年7月2日の契約更新時に賃料が1万円増額され、その結果敷金も2万円増額されたので、Xは同日Yに敷金を追加交付した。平成6年3月31日賃貸借契約は合意解除され、同日XはマンションをYに明け渡した。
 Yは、Xが通常の使用による損害以上に損害を与えたため、以下の補修工事を実施し、46万9,474円を出損し、敷金を充当したので、敷金は返還できないと主張したことから、Xが交付済みの敷金21万4,000円の返還を求めて提訴した。

工事内容
畳六畳の裏返し
洋間カーペットの取り替えならびに洋間の壁・天井、食堂、台所、洗面所、トイレ、玄関の壁・天井の張り替え
網入り熱線ガラス二面張り替え
トイレ備え付けタオル掛けの取り付け
判決一審
畳は、入居者が替わらなければ取り替える必要がない程度の状態であったから、その程度の損耗は通常の使用によって生ずる損害と解すべきである。
洋間カーペット、洋間の壁・天井等は、カビによる染みがあったために取り替えたものであるが、本件建物が新築であったために壁等に多量の水分が含有されていたことは経験則上認められ、また、居住者がことさらにカビを多発せしめるということは到底考えられないし、またXがそのような原因を作出したとは認められない。
網入りガラスは、熱膨張により破損しやすいところ、Xが破損に何らかの寄与をしたとは認められない。
トイレのタオル掛けの破損も、石膏ボードに取り付けられた場合、その材質上、取れ易いことは経験則上明らかである。
以上から、各損害はいずれも通常の使用により生ずる損害、損耗であり、Yが負担すべきとして、Xの請求を全面的に認めた。
*なお、本事案については、Yが一審判決を不服として横浜地裁に控訴した。
判決控訴審
洋間カーペット、洋間の壁、洗面所、トイレおよび玄関の天井および壁に発生したカビについて、相当の程度・範囲に及んでいたこと、本件建物の修繕工事をした業者が同一建物内の他の建物を修繕したが、そこには本件建物のような程度のカビは発生していなかったことから、本件建物が新築でカビが発生しやすい状態であったことを考慮しても、Xが通常の態様で使用したことから当然に生じた結果ということはできず、Xの管理、すなわちカビが発生した後の手入れにも問題があったといわざるを得ない。
カビの汚れについては、Xにも2割程度責任があり、「故意、過失により建物を損傷した有責当事者が損害賠償義務を負う」旨の契約条項により、Xは本件カーペット等の修繕費15万5,200円のうち、約3万円を負担すべきである。
以上から、原判決(保土ヶ谷簡裁)を変更し、Xが請求できるのは、敷金21万4,000円から3万円を差し引いた18万4,000円とした。

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伏見簡易裁判所   平成7年7月18日

概要
借主Xは、平成2年4月1日、Yとの間で建物(公庫融資を受けた賃貸住宅と思われる)について賃貸借契約を締結した。契約期間は2年間、賃料月額6万6,000円、敷金19万8,000円とされ、Xは同日Yに敷金を支払った。なお、Xは、契約以前の平成2年1月18日に設備協力金として12万3,600円(消費税込み)を支払っていた。平成4年4月1日の契約更新時に賃料が5,000円増額されたが、敷金の追加支払いはなく、Xは更新料として12万円を同年6月1日に支払った。
 Xは、平成6年1月23日に本件建物を退去してYに明け渡した。
 明渡時にY側の立会人は、個々の箇所を点検することなく、全面的に改装すると申し渡したので、Xが具体的に修理等の必要のあるものを指摘するよう要求したところ、後日Yから修理明細表が送られてきたが、内容は全面改装の明細であった。XがYの通知した修繕等を行わなかったため、YはXの負担においてこの修繕等を代行した。
 Xは、建物を明け渡したことによる敷金の返還を求めるとともに、支払い済みの設備協力金等は不当利得であるとしてその返還を求めて提訴した。一方、Yは賃貸借契約に基づく明渡時の原状回復の特約(契約時点における原状すなわちまっさらに近い状態に回復すべき義務)をXが履行しなかったことで、Yが代行した修繕費のうち、敷金によって精算できなかった差額金の支払いを求めて反訴した。
判決
設備協力金等について、冷暖房機設置の負担金およびその更新料と認められ、住宅金融公庫融資関連法令の禁ずる脱法的家賃ではなく、物品使用料であり、その額についても、暴利行為と認められないとして、Xの返還請求を斥けた。
原状回復については、動産の賃貸借と同様、建物の賃貸借においても、賃貸物件の賃貸中の自然の劣化・損耗はその賃料によってカバーされるべきであり、賃借人が、明渡しに際して賠償義務とは別個に「まっさらに近い状態」に回復すべき義務を負うとすることは伝統的な賃貸借からは導かれず、義務ありとするためには、その必要があり、かつ、暴利的でないなど、客観的理由の存在が必要で、特に賃借人がこの義務について認識し、義務負担の意思表示をしたことが必要である。本件契約締結の際に当該義務の説明がなされたと認められる証拠はなく、重要事項説明書等によれば、賃借人の故意過失による損傷を復元する規定であるとの説明であったと認められるとして、Yの主張を斥け、X支払い済みの敷金全額の返還を命じた。

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東京簡易裁判所   平成7年8月8日

概要
敷金33万4千円 本契約には「明け渡しの後の室内建具、ふすま、壁紙等の破損、汚れは一切賃借人(借主)の負担において現状に回復する」という特約があり、この条文に基づき、敷金を返還しなっかった。

判決
建物賃貸借契約に原状回復条項があるからといって、賃借人は建物賃貸開始当時の状態に回復すべき義務はない。
賃貸人は賃借人が通常の状態で使用した場合に時間の経過に伴って生じる自然損耗等は賃料として回収すべきものであるから、原状回復条項は、賃借人の故意・過失、通常でない使用をしたために発生した場合の損害の回復について規定したものと解すべきである。
壁についた冷蔵庫の排気跡や家具の跡、畳みの擦れた跡、網戸の小さい穴については、10年近い賃借人の賃借期間から見れば自然損耗と言え、飲み物を絨毯にこぼした跡、部屋の家具の跡等については、賃借人が故意・過失または通常でない使用をしたための毀損とは認められない。
以上から入居期間中に破損した襖張り替えに要した費用1万3千円を差し引いた32万1千円の返還を命じた。


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東京簡易裁判所   平成7年8月8日

概要
 借主Xは、昭和60年3月16日Yとの間で都内の賃貸住宅について賃貸借契約を締結した。賃料月額16万7,000円、敷金33万4,000円であった。Xは、平成7年12月1日に本件建物を退去してYに明け渡した。Yは、その後原状回復費用としてビニールクロス張り替え費用等55万5,600円を支出し、本件契約の「明け渡しの後の室内建具、襖、壁紙等の破損、汚れは一切賃借人の負担において原状に回復する」との条項により、敷金を充当したとして一切返還しなかった。
 このためXは、入居期間中に破損した襖張り替え費用1万3,000円を差し引いた32万1,000円の返還を求めて提訴した。
判決
建物賃貸借契約に原状回復条項があるからといって、賃借人は建物賃借当時の状態に回復すべき義務はない。賃貸人は、賃借人が通常の状態で使用した場合に時間の経過に伴って生じる自然損耗等は賃料として回収しているから、原状回復条項は、賃借人の故意・過失、通常でない使用をしたために発生した場合の損害の回復について規定したものと解すべきである。
部屋の枠回り額縁のペンキ剥がれ、壁についた冷蔵庫の排気跡や家具の跡、畳の擦れた跡、網戸の小さい穴については、10年近いXの賃借期間から自然損耗であり、飲み物を絨毯にこぼした跡、部屋の家具の跡等については、賃借人が故意、過失または通常でない使用したための棄損とは認められない。
以上から、Xの請求を全面的に認めた。
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東京簡易裁判所   平成8年3月18日

概要
 借主Xは、平成3年8月30日、Yとの間で東京都内のアパートの賃貸借契約を締結した。契約期間は2年間、賃料月額15万円、敷金30万円とし、Xはその前日Yに敷金を交付した。平成5年8月30日の契約更新時に賃料が5000円増額され、その結果敷金も1万円増額されたのでXは同日Yに敷金を追加交付した。平成7年8月31日賃貸借契約は解除され、同日XはアパートをYに明け渡した。
 Yは、賃貸借契約書の「賃借人は明け渡しの際、自己の費用負担において専門業者相当の清掃クリーニングを行う」旨の特約に基づき、クリーニングを含む補修工事等を実施し、27万6,280円を支出したとして、敷金との差し引き3万3,720円を返還した。このため、Xが交付済みの敷金残額の返還を求めて提訴した。
判決
本件特約は、賃借人の故意、過失に基づく毀損や通常でない使用方法による劣化等についてのみ、その回復を義務づけたものと解するのが相当である。
本件について、Xの故意、過失による毀損や通常でない使用による劣化等を認める証拠がない。
以上から、Xの請求を全面的に認めた。

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東京簡易裁判所    平成8年3月19日

概要
敷金31万 本契約には「賃借人は明け渡しの際、自己の費用負担において専門業者相当の清掃クリーニングを行う。」という特約があり、貸主はクリーニングと補修を行い、27万6820円を差し引き、3万3720円を返還した。
判決
建物が時の経過によって古び、減価していくのは避けらず、賃貸人は原価の進行する期間、それを他に賃貸して賃料収入を得るので、賃貸借終了後、その建物を賃貸開始時の状態に復帰させる事までを要求するのは、当事者の公平を失する。
本件特約は、賃借人の故意、過失に基づく毀損や通常でない使用方法による劣化等についてのみ、その回復を義務づけたものとするのが相当である。
本件について、賃借人の故意・過失による毀損や通常でない使用による劣化等を認める証拠が無い。
として敷金31万円全額の返還を命じた。

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横浜簡易裁判所    平成8年3月25日

概要
敷金21万4千円 新築マンションの賃貸契約 約6年後に合意解除
借主の使用により46万9474円の工事代がかかり、敷金を返還しなかった。

工事内容

畳6畳の裏返し
洋間カーペットの取り替え
洋間・食堂・台所・洗面所・トイレ・玄関の壁と天井の張り替え
網入り熱線ガラス二面張り替え
トイレ備え付けタオルかけの取り替え
判決
洋間・食堂・台所・洗面所・トイレ・玄関の壁と天井の張り替えはカビの発生によるものであり、他の部屋には発生していない事から見ても賃借人の手入れにも問題があったと推測でき、この取り替えについては妥当である。
カビについては賃借人に2割程度の責任が認められ、修繕費15万2千円のうち約3万円について負担すべきである。
以上により敷金21万4千円から3万円を差し引いた18万4千円について返還を命じた。

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仙台簡易裁判所    平成8年11月28日

概要
敷金19万8千円 本契約には「賃借人(借主)の負担において現状に回復する」という特約があった。

工事内容
畳修理
襖張り替え
壁・床・天井修繕
クリーニング
玄関鍵交換

以上で33万6810円の費用がかかったとして敷金を返還しなっかた。
判決
部屋の使用状態は通常使用による自然損耗しか見受けられなかった。
居住用の賃貸借においては、賃貸物件の使用による損耗、汚損等は賃料によってカバーされるべきものと解すべきで、その修繕を賃借人の負担とする事は、賃借人に対して新たな義務を負担させるものというべきであり、特に、賃借人がこの義務について認識し、義務負担の意思表示を明確にした事が必要である。しかし賃借には契約締結時に何ら説明を受けていないし、もちろん意思表示も行っていないので、この特約は無効である。
以上から賃借人が負担を認めているクリーニングとかぎ交換費用を差し引き16万1435円の返還を命じた。

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川口簡易裁判所   平成9年2月18日

概要
敷金14万2千円
□工事内容□
・ルームクリーニング
・畳替え・クロス張り替え

 X:入居者
 Y:不動産会社

Xは、平成5年12月にYから木造建物を賃借し、敷金14万2千円をYに預託した。Xは、平成8年8月16日に、本件建物の賃貸借契約か終了したため、本件建物をYに明け渡した。この際Yは、Xに対してリフォーム代金として12万2320円を請求し、敷金との差額1万9688円を返金する旨を通知した。なお、明け渡しの際の建物の状況は後述の[理由」の項て紹介する事実を除いて、具体的には明らかではない。
 Xは、敷金全額の支払い命令を申し立て、裁判所は、その旨の支払い命令を発したが、Yが異議を申し立てたため、通常の裁判手続きが始まったのが、この事件である。Yは、この異議申し立ての際、修繕の費用のうち、任意に5万円を負担する旨の申し出をし、結局、6万9688円(1万9688円に5万円を加算した額)の返金に応した。
 しかし、本件はそれを不服としてXが敷金の全額返金(敷金の残額7万2312円)を求めたものである。
 Yが最初にリフォーム代金として請求した12万2312円の内訳は、次のとおり。
●ルームクリーニング費用の3万円
●ガスコンロ内部クリーニング費用の4000円
●畳表替え費用の2万2500円
●クロス張り替え費用の5万4750円
●クロスクリーニング費用の7500円
●消費税3562円
判決
Xは、配偶者とともに本件建物に3年弱の間、居住したが、「2人ともたばこは吸わず、夫婦共稼ぎの生活を送っていたこと、本件建物を退去するまで賃料はもとより公共料金の未払いはー切なく、本件建物を退去する際は、普通に掃除をして出たこと、ガスコンロはXのものであったが、入居予定者の希望により残したものであること、Xが本件建物の通常な使用収益を超えた方法により発生させた毀損個所を認めることはできないこと…」これらの事実を認定できる。したがって、本件建物は共稼ぎ夫婦によって社会通念上通常の方法により使用されたものと認められ、自然ないしは通例的に生ずる損耗以上に悪化していることを認めるに足りる証拠はない。以上の事実によると、Yの主張する修繕費を原告に負担させる合理的な根拠はなく、敷金全額をXに返還すべきである。
解説
敷金は、賃貸借契約に基づいて生じた借り主の債務を担保するため、借り主が貸主に預託する金銭である。
賃貸借契約に基づいて生ずる借り主の債務としては、例えば賃料債務や借り主の落ち度による賃借物件の汚損などに伴う損害を賠償する債務が考えられる。これらの債務が退去時に残っていれば、債務額を控除した金額が借り主に返される(債務額が敷金の額を超える場合には、敷金は返ってこないし、借り主は、不足額を払わなければならない)。これに対し、借り主の債務が何ら残っていない場合には、貸主は敷金の全額を返還しなければならない。
一般に賃借物件の修繕は、借り主の落ち度による汚損・破損の場合を除いては、貸主の義務であり、したがって、その費用も貸主が負担する。これは民法六〇六条で定められている原則であり、この原則と異なる特約をすることは可能であるが、裁判所は、その特約をそのまま有効とは認めないことも少なくない。もし、修繕が貸主の負担であるということになる場合には、たとえ退去時に借り主か修繕をしていないとしても、貸主は、敷金の全額を返さなければならない。
具体的には、次のような場面が考えられる。
A・・・特約がないため原則どおり修繕は貸主負担となる場合
B・・・特約があり、それが有効であると考えられるため、修繕は借り主の負担となる場合
C・・・特約が不動文字で印刷されていて、借り主に十分に説明されないまま契約書に入れられたものであり、したがって特約は無効であると考えられる場合(例文解釈)
D・・・修繕を借り主負担とする特約があるが、そこにいう修繕とは通常の自然損耗を超えた汚損などに限られると考えられる場合(信義則に基づく特約文言の制限解釈民法一条二項)
E・・・修繕を借り主負担とする特約が著しく不公正なものであるため、無効であると考えるべき場合(公序良俗違反民法九〇条)などがある。
当該事件は、「A」に当たる事例であり、裁判所が敷金全額の返還を命したのは当然であると考えられる。
 なお、判決理由で挙げる諸事実の中で、中心的な意味を持つのは「Xが本件建物の通常な使用収益を超えた方法により発生させた毀損箇所を認めることはできないこと」であり、「Xは、配偶者とともに本件建物に3年弱の間居住したが、二人ともたばこは吸わず、夫婦共稼ぎの生活を送っていたこと」「本件建物を退去するまで賃料はもとより公共料金の未払いは一切なく、本件建物を退去する際は、普通に掃除をして出たこと」「ガスコンロはXのものであったが、入居予定者の希望により残したものであること」までは、「Xが本件建物の通常な使用収益を超えた方法により発生させた毀損箇所を認めることはできないこと」を補強する事実であるというべきである。例えば、子供のいる借り主が、この種の紛争で直ちに不利に扱われる結果は適当でないと考えられる。

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東京簡易裁判所   平成9年3月19日

概要
 X:入居者
 Y:建物所有者

Xは、Yから建物を賃借したが、その際の特約において、建物の破損、汚損または付帯設備の修繕費などは借り主(X)の負担であり、専門業者またはこれに類する者による室内全般にわたる清掃クリーニングをXの負担においてすることが約された。入居は平成5年8月であり、預託した敷金は31万円である。
 Xは、平成7年8月に借家契約か終了した際に、Yに対し敷金の返還を求めたが、Yはこの特約を理由に、3万円余りの返還に応じたのみであった。そこでXがYに対し敷金全額の返還を請求した。
理由
建物は時の経過によって減価していくのは避けられず、賃貸人は、これに対応じて賃料収入を得るものである。建物を賃貸開始時の状態、すなわち時の経過がなかったような状態に復帰させることを要求することは、当事者の公平を失するというべきである。
したがって、本件特約は、社会通念上、時の経過およひ建物の通常の使用によって生ずる自然の損耗についてまで、それがなかった状態に回復すべきことを要求しているものではなく、賃借人の故意・過失に基づく建物の毀損や、通常でない使用方法による劣化などについてのみ、その回復を義務づけたものと解するのが相当である。
解説
敷金は、賃貸借契約に基づいて生じた借り主の債務を担保するため、借り主が貸主に預託する金銭である。
賃貸借契約に基づいて生ずる借り主の債務としては、例えば賃料債務や借り主の落ち度による賃借物件の汚損などに伴う損害を賠償する債務が考えられる。これらの債務が退去時に残っていれば、債務額を控除した金額が借り主に返される(債務額が敷金の額を超える場合には、敷金は返ってこないし、借り主は、不足額を払わなければならない)。これに対し、借り主の債務が何ら残っていない場合には、貸主は敷金の全額を返還しなければならない。
一般に賃借物件の修繕は、借り主の落ち度による汚損・破損の場合を除いては、貸主の義務であり、したがって、その費用も貸主が負担する。これは民法六〇六条で定められている原則であり、この原則と異なる特約をすることは可能であるが、裁判所は、その特約をそのまま有効とは認めないことも少なくない。もし、修繕が貸主の負担であるということになる場合には、たとえ退去時に借り主か修繕をしていないとしても、貸主は、敷金の全額を返さなければならない。
具体的には、次のような場面が考えられる。
A・・・特約がないため原則どおり修繕は貸主負担となる場合
B・・・特約があり、それが有効であると考えられるため、修繕は借り主の負担となる場合
C・・・特約が不動文字で印刷されていて、借り主に十分に説明されないまま契約書に入れられたものであり、したがって特約は無効であると考えられる場合(例文解釈)
D・・・修繕を借り主負担とする特約があるが、そこにいう修繕とは通常の自然損耗を超えた汚損などに限られると考えられる場合(信義則に基づく特約文言の制限解釈民法一条二項)
E・・・修繕を借り主負担とする特約が著しく不公正なものであるため、無効であると考えるべき場合(公序良俗違反民法九〇条)などがある。
当該事件は、「D」に当たる事例であり、裁判所が敷金全額の返還を命じたのは正当であると考えられる。
退去時の修繕ないし清算をめぐる紛争は、近時、増えてもいるが、これを解決するに当たっては、修繕を借り主負担とする特約の有無(それにより、「A」と「B」「C」「D」のいずれで解決するかが分かれる)に応じ、問題処理を考えることが何よりも大切である。また、特約がある場合には、その文言を具体的に確かめることが、「B」「C」「D」のいずれによることができるかを見通すに当たり重要な意味を持つ。
参考判例として以下を挙げる。
(1) 賃借人は賃貸人に対し債務不履行のないことを主張立証しなければ敷金返還を求められないとされた事例 (東京高等裁判所 昭和四十一年二月二十四日判決 判例タイムズー九〇号一八一頁)。
(2) 原因不明の火災による賃借建物が焼失した場合に、賃借人の責に帰すべき事由に基づかないことの立証が不十分であるとして敷金返還請求が認められなかった事例 (福岡高等裁判所 昭和四十八年三月十三日判決 判例タイムズ二九七号二四一頁)。

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神奈川簡易裁判所    平成9年7月2日

概要
敷金36万円 畳の取り替え等の費用を敷金から差し引き8100円を返還した。
尚契約書には浄化槽の清掃を賃借人負担で行う旨の特約があった。
判決
修繕費用を賃借人に負担させる原状回復の特約は、特別な事情がない限り認められず、賃借人に修繕義務はない。
賃借人は、畳を張り替えなければならないほどの損傷を与えていない。
浄化槽の清掃は、修繕ではなく、その費用を特約により賃借人の負担とする事は特別の事情を要しないため、賃借人に支払義務がある。
以上により浄化槽の清掃費用を差し引いた39万5989円の返還を命じた。

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大阪高等裁判所    平成10年9月24日
概要
X:被控訴人(原告:個人、建物の借り主)
Y:控訴人(被告:個人、建物の貸し主)
 Yは、住宅金融公庫からの融資を受けて建物を築いた。この建物は、賃貸を予定して築造されたものである。住宅金融公庫法三五条および住宅金融公庫法施行規則十条によれば、公庫の融資を受けて築造した建物の賃貸においては、「賃借人の不当な負担になる賃貸条件」を設けてはならないこととされており、Yへの融資も、このことを前提とするものである。
 Xは、Yの築造した建物を賃借することとし、賃借に当たり敷金として二十九万余円を支払った。この賃貸借契約は、一九九四年四月に更新されたが、翌九五年九月に終了し、XはYに建物を明け渡した(更新から明け渡しまでは十八月である。なお賃貸借契約の成立時期および契約終了の事情は不明)。
 このX・Y間の賃貸借契約には、「設備協力負担金」と称する十五万円の金銭をXがYに支払う旨の約束がなされた(以下「負担金の約束」という)。しかし、Xは、この負担金の支払いをしないまま、建物の明け渡しに至った。
 負担金の約束の趣旨は、建物の内部に設置している冷暖房設備をXが使用することに伴う利益の清算である、とYは主張している。しかし、その具体的金額が十五万円であるとされる趣旨は、明らかでない。裁判所からの調査嘱託に対する住宅金融公庫某支店賃貸住宅課の回答書によれば、こうした設備の使用に伴い建物の借り主が得るところの、いわば実費分の負担として、冷暖房設備の購入資金の償却としては月当たり設備購入代金の〇.〇一六五七三%に当たる額を、また、冷暖房設備の維持管理に要する費用としては月当たり設備購入代金の〇.〇〇一四%に当たる額を、月額使用料としてそれぞれ収受することを限度とするべきことを指導している。問題の建物に設置された冷暖房設備の代金は、おおよそ十六万五千円であると認められ、これに住宅金融公庫の指導利率を乗じた月当たりの額は約三千円となる。
 建物を明け渡したXが、Yに対し敷金の返還を求めたのが、この事件である。これに対しYは、問題の、約束の負担金の支払いがなされていないことを指摘して争った。裁判所は、月当たり三千円の十八月分に当たる金額を敷金額から差し引いた二十四万余円の支払いをYに命じた。
理由
 本件各建物部分を借りることと冷暖房機の使用とは一体不可分になっていて、賃借人としては部屋は借りるが冷暖房機の使用は断るといった自由を有していないなどの事実関係の下では、Yが本件設備協力金を受け取ることは、住宅金融公庫法三五条、同法施行規則一〇条に違反するというべきであり、右認定判断を覆すに足りる証拠はない。住宅金融公庫法三五条、同法施行規則一〇条に違反した契約の私法上の効力については、その契約が公序良俗に反するとされるような場合は別として、Xがいうように同条項に違反しているからとの理由だけで本件約定の全体が直ちに無効であると解するべきではない。  
 住宅金融公庫法は、公庫に対する賃貸人の義務を定めることによって、同法の目的を達成することを予定しているのである。同法は、右のように社会政策的な見地から、同法による融資を利用して建築した賃貸建物についての賃貸条件等を規制しているのであって、それ以上に右賃貸建物の賃貸条件の私法上の効力まで規制しているものではないから、同法三五条、同法施行規則一〇条の趣旨に抵触する賃貸条件を定めて賃借人にその賃貸条件を承諾させたからといって、それだけで直ちにその賃貸条件についての約定の私法上の効力まで否定することはできないものというべきであり、その約定が同法等の規制を逸脱することが著しく、公序良俗規定や信義則に照らして社会的に容認しがたいものである場合に限り、かつその限度においてのみ、その約定の私法上の効力が否定されるものと解するのが相当である。
 設備協力金の金額と、住宅金融公庫の指導している標準使用料の算式により算出される金額との差額が後述する程度にとどまっている本件においては、設備協力金の徴収を定めた約定は、その全体が公序良俗に反するとか、その請求が信義則に反するとかいうことはできない。
 冷暖房機についての設備協力負担金は、その金額が冷暖房機の通常の使用によって当然生じる償却費や維持管理費の程度のものである場合は、賃借人にとって強制されたものとはいえその使用によって享受する生活上の利益を得るために必要な実費の範囲にとどまっており、かつ賃貸人に利益を得させるものではないといえるから、設備協力負担金の徴収を定めた賃貸条件はその限度において私法上有効と解されるところ、他方において、右の実費の限度を超過する部分は、冷暖房機の使用を強制された賃借人の犠牲において賃貸人が利益を得ることになるものといえるから、住宅金融公庫法の社会政策的目的に照らしても、これは社会的に容認しえないものと評価されるといわざるを得ない。住宅金融公庫は冷暖房機の標準使用料算出方法を定めてその方式によって算出される額の範囲で設備協力負担金を徴収するよう指導しているのであるが、本件に明らかな事実関係に照らすと、標準使用料の算出によって算出された金額は前記の冷暖房機使用に必要な実費に当たるものであって合理的なものと推認することができる。したがって、設備協力金についても、その金額が公庫の指導する標準額を超過する結果を生じている以上、超過部分は是正しなければならず、その方法としては、設備協力金のうち、公庫の指導している標準額を超える部分は公序良俗に反し、私法上も無効になるものとして是正するのが相当である。
解説
 1 住宅金融公庫法は、住宅の建設・購入に必要な資金を銀行などの一般の金融機関から融通することを困難とする場合に、公的資金による有利な融資を実行することにより、国民大衆が健康で文化的な生活を営むに足る賃貸住宅を供給することを目的とする法律である(同法一条一項参照)。このような趣旨に基づき同法は、公庫が賃貸人に対し償還期間や貸付利率につき有利な条件で必要資金を融資する一方で、賃貸人に対しては賃料の限度を設定する(同法三五条二項)ほか、賃貸の条件に関し、住宅金融公庫法施行規則一〇条に定める基準に従って賃貸することを義務づけ(同法三五条一項)、賃貸人が賃借人にとって不当な負担となる同法違反の賃貸条件を定めた契約を賃借人に締結させた場合には、その違反状態の解消のために、罰則規定を設け(同法四六条)、また、融資金の弁済期が到来していなくても、いつでも償還を請求することができると定める(同法二一条の四第三項七号)。
 2 この事件で問題となった住宅金融公庫法の規定のように行政上の取締規定が一定の規制をなしている場合に、それと相入れない民事上の契約が有効かどうかは、一概にいえない。食品衛生法二一条に違反して無許可で食肉を販売している者の結んだ食肉の仕入契約を有効とする判例(後掲判例T参照)などがあり、一般には、1)問題となる規定の趣旨目的、2)違反行為に対する倫理的非難の程度、3)取引安全の要請、4)当事者間の信義・衡平などを総合考慮して決するべきであると考えられている。この事件では、おそらく、これらの諸要素の考慮の結果として、一定限度で負担金の約束を有効とする解釈が採られた。
 3 この事件で問題となったのは、公的資金が投入された住宅について政策目的が適切に確保されるようにする見地から、民事上の行為に対するコントロールをどのように行なうか、ということである。コントロールの具体的形態は、この事件で問題となったような契約の効力の否定のほかに、いったんは有効に成立した契約を買戻権(後掲判例U参照)や解除権の行使により解消するといったものもある。都市基盤整備公団の発足などに代表される官民の役割分担の流動化のなかで、こうした諸々のコントロールが複雑なものとなってくる領域もみられる。
(参考判例)
 T 最高裁判所昭和三十五年三月十八日判決(最高裁判所民事判例集一四巻四号四八三ページ)
 U 最高裁判所平成十一年十一月三十日判決(金融・商事判例一〇八一号二四ページほか)

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